今年もこの日がやってきました。
3.11。

震度5弱だった茅ヶ崎市。
我が家に直接的な被害はなかったけど、
私のその後の人生に少なからず影響を及ぼした震災でした。
福島第一原発の事故によって、
飼い主と離れ離れになった犬や猫を保護しているシェルターが隣町にあると知り、
2011年の4月から、
犬たちの世話をするボランティアを始めました。
そこにいたのが貫太です。
シェルター時代の、数少ない貫太の写真がこちら

この頃は、保護している犬猫の数がかなり多くて(犬は確か450匹余り)、
次から次へと散歩させねばならず、
写真を撮っている時間も余裕もありませんでした。
ある日、どんなに頑張っても、
散歩に連れ出してやれない犬がでる…という日があって、
帰りの車の中で涙が溢れました。
そして思ったのです、
「1匹でも我が家で預かれば、1匹散歩に出してやる!」って。
それで迎えたのが貫太でした。
我が家に来た日の貫太がこれ

当時は、
「震災後落ち着いたら飼い主が現れるかもしれない」
ということで、
“一時預かり”という形態で貫太を受け入れました。
我が家には、前の年の年末に全盲になったミッチーという先住犬がいて、
(緑内障による眼圧上昇のため、両眼を義眼にする手術を受けた)
そのミッチーが犬嫌いだったので、
2匹目を迎えるのは無理と思っていたのですが、
穏やかで、従順な性格だった貫太は、
時折ミッチー姉さんの逆鱗に触れつつ、上手く対応してくれ、
ミッチーも徐々に貫太を受け入れてくれました。
あの震災から15年。
貫太もすっかりおじいちゃんになりました。

永遠の“弟”と思っていたけど、
今ではこんなんです(笑)。

でも、
外に出れば、見栄を張ってシャキシャキ歩く。
幼馴染ワンコの飼い主さんからは、
「貫太くん、若い!」って言っていただけます。
でへへ福島の元飼い主さん、
あなたが断腸の思いで家に残してきた幼かった柴犬は、
まだ元気で、
遠い湘南の地で、
のんびり暮らしています。

「迎えに行けなくてゴメン」と何度も謝ったと思いますが、
我が家で大切に、大切に15年間お預かりしています。
そしてこれからも…
どうぞご安心ください。
と、できる事ならお伝えしたい。
そんな思いの、私の3.11。
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ありがとうございます♡

コメント
コメント一覧 (12)
東日本大震災から15年の月日が経ってしまいましたね。
今でもあの日の事は鮮明に覚えています。
ミッチーさんのお宅に来た当時の貫太君は、あどけなく何も疑いのないキラキラ輝いた目をしていたので、なおさら深い悲しみに襲われます。
震災当時の元飼い主さんは、きっと貫太君が今幸せに暮らしている事を知っている、と信じています。
貫太君、歳を重ねてもミッチーさんのお宅での今という幸せな時間を思う存分に楽しんで長生きしてくださいね。
Michy
が
しました
覚えています。先代ロッキーの水が、すごい
揺れで、全てこぼれました。
貫太兄さんは、あどけない顔でしたね。
ミッチーさんの優しさで、今でも、優しい
わんこ🐶です😌💓。16歳には、見えません。
前の飼い主さんも、ミッチーさんの家🏠に、
迎えられ、安心して、いますね。
兄さん長生きして、下さいね。😃🍒😃
Michy
が
しました
今でもよく覚えてます。
あの日から保護されるまで
過酷な現場を見てきた貫ちゃん。
散歩以外はケージの中という生活でも
食べ物があり眠れる場所があるだけで
ほっとした事でしょうね。
すっかりMichy家の一員ですが
本当はまだ一時預かりなのですね。
元の飼い主様と再会しても
Michy家で過ごしていても
貫ちゃんは幸せだと思います。
いろんな思いを馳せる3月11日ですね。
Michy
が
しました
2万人以上の被害者が生命を失い、飼育されていた犬、猫、牛、馬などの動物も被害を被りました。
あの日、家内とスーパーへ買い物に行き、私は駐車場で待っていました。
愛犬ゴン太(10歳半)は、2キロほど離れた自宅の柿の木の下に置いた犬小屋に繋がれていました。
さいたま市内でも激しい揺れに見舞われ、駐車場の近辺の家が激しく揺れるのを見ながら、家内の安否を確かめようとスーパーに向かったところ、両手に買い物袋を下げた家内が無事に戻って来ました。
余震もあった為に直ぐに自宅へ戻らず、近くの田んぼの農道に車を停めて30分程してから帰宅しています。近所の方から地震があった時、ゴン太が大きな声で吠えていたと聞きました。
貫太君は、既に15年以上も施設やミッチーさんの所に保護されて、幸せにも平穏な日常を送ることが出来ました。本当に運の強い存在です。
元飼い主さんが元気でおられるならそれも幸いですが、被災者となっていたとしたら、誠にお気の毒なことです。
丁度地震が起きた時間になり、TVでは多くの人々が黙とうを奉げています。
私も被災者の為に黙とうを奉げました。
Michy
が
しました
今日は東日本大震災があった日ですが、私の母の
誕生日でもあります。
シェルター時代の可愛い貫太くん💕この15年の間に
様々な事がありましたね😍
みんなに可愛がられ、みんなに愛され幸せな日々、
でも、本人にしか知り得ない心中もありますね。
この先もMichyファミリーに温かく見守られながら
過ごしてほしいと思います😊
Michy
が
しました
様々な音が、我が輩の耳のこびりついている。
今日の事、今の事、今夜の事、そして明日のこと。
精一杯で、それでも把握しきれてなくて、不安しか無くて、動揺しか無くて、誰にどこに何を尋ねたらいいのかわからないぐらいだった。
貫ちゃん。
君の記憶がどうなのか。
何を見て、何を嗅いで、何を味わって、何を感じ、何を考え、どんな思いだったのか。
その全てが、我が輩には計り知れない。
勝手に想像してはかえって失礼かもしれないと思いながら、それでもやはり尋常ならざる、まさに命の岐路であっただろうと思わずにはいられない。
でも。それでもね、貫ちゃん。
君が生きているということ。
君が、食べて、出して、歩いて、眠れて。
家族もいて、友達もいて。
暖かい場所で、涼しい場所で、賑やかな場所で、静かな場所で。
いつもいつもいつもいつも見守ってくれる新しい家族の傍で。
君が生きているということ。
きっと、きっと、きっと、きっと、
届いていると、我が輩は、思っている、いや、願っている。
君が、何かの象徴にされることなく、
君が「ただの柴犬」として
ごくごく平凡に穏やかに日々を過ごしてこられたということに
我が輩は、主殿と夫殿への尊敬の念を禁じ得ない。
節目。なんてないとは思うけれども。
いつだって、いつまでだって、何年後だって大きさも重さも変わらないはずだけれども。
今一度、今日が来ること、明日に続くことの非凡さと有り難さを胸に刻もうと思う。
貫ちゃん。
大好きだよ。
Michy
が
しました
あれから15年。私は札幌住みですが、あの日のことははっきりと覚えています。
中学校勤務、現在2年生担任ですが、生徒たちは生まれていませんでした。
今日、【あの日を知らないみなさんへ】と題した学級通信を出しました。生徒たちは、震災のことは目や耳にしてはいますが、通信を真剣に読んでいました。14:46には全校で黙祷。直接大きな被害はなかった私ですが、少しでも何か伝えていきたいと思っています。
貫太くん、幸せな顔をしていますね。
福島の元飼い主さん、貫太くんは幸せに暮らしています。元飼い主さんも、どうか幸せでありますように…
そして、Michyさん、パパさん、貫太くん、まる子ちゃん、読者の皆様、これからも笑顔で満ち溢れる毎日でありますように…
Michy
が
しました
おはようございます。
東北地方の、被災した方々のみならず、日本全体が驚きと悲しみに覆われた
15年前の3月11日でした。
昨日の新聞や、テレビの放送を見て、涙が出ました。
あの震災後、私にも悲しい別れがあり、当時よりも更に大切な人、大切なペット
を失った方々の痛みが実感としてわかるようになっています。
節目がこようが、何年経とうが、決して薄れることのない心の痛み…
それでも、日々の暮らしの中で、楽しかったり、笑えたりする時間が訪れて欲しい
と願います。
貫太を一時預かりとして迎えましたが、我が家に迎えたその日から、ずっと
ウチにいてもらいたいとも思いました。
それでも、最初の1年くらいは、「もし私がミッチーと離れ離れになって、誰かに
保護されて、そこで幸せに暮らしていると知った時、じゃあ諦めてその保護主さんに
ずっとお預けするか?」って考えた時、「いや、是が非でも我が家に戻って来て
欲しいと思うはず」と想像し、万が一本当の飼い主さんが現れたら、お返しする
しかないと思っていました。
今はもうお返ししませんよ〜(笑)。
あんな悲しい思いをする人々やペットたち、動物たちが2度とないことを願って
やみません。
Michy
が
しました
若い時は元気いっぱい!
今は貫禄が出て味のあるおじいさん。笑
のんびりと過ごしていますね😊
元の飼い主さんも喜んでいると思います🐱
仕事中に黙祷がありました。
家族や周りの大切な方を亡くされた方が多い中、今日に限らず、毎日生きていられる今の現状に感謝しています。
貫ちゃん、まるちゃん、父さん、ミッチーさん、これからも幸せに暮らせますように🙇
Michy
が
しました
私の田舎は福島なので、かんたくんが福島出身と知ったときは胸がぎゅ~っとなりました。かんたくんが来たときからおじゃましているのですが、もう15年なのですね。かんたくんからまだまだ元気をいただけたら嬉しいです。
Michy
が
しました
私の田舎は福島なので、かんたくんが福島出身と知ったときは胸がぎゅ~っとなりました。かんたくんが来たときからおじゃましているのですが、もう15年なのですね。かんたくんからまだまだ元気をいただけたら嬉しいです。
Michy
が
しました
たくさんのコメントをありがとうございます。
あの日から丸15年が経ち、年齢不詳の貫太も少なくとも15歳以上となりました。
柴犬には“16歳の壁”って密かに言われている区切りがあって、16歳を超えるのが
少々難しいと言われています。
でも、それを超えると長生きする!
という、真偽不明の壁を越えたであろう貫太です。
あの震災を乗り越えた犬たち、現在生存している頭数の方が圧倒的に少なく
なっているでしょう。
生きとし生けるもの全てが辛い思いをしたあの震災を忘れないよう、一方、
希望のあるってことを忘れないよう、貫太には長生きしてもらいたいです。
Michy
が
しました