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冷たい雨が降りました。

あの日も…寒い1日だったなぁ。
今年も3月11日がやってきました。
「5年の節目」ということもあるのでしょうか、震災関係の報道がとても多い気がします。
私にとっての311は、貫太を通して感じることが多いです。

まだ幼かったであろう愛犬を、「すぐに戻れるから置いていけ」と言われ、
犬を残して緊急避難をせざるを得なかった飼い主さん…
その後「家には戻れない」と聞かされた時、どんなにか辛かったか。
犬は、飼い主なしでは生きていけないのだから…
気が小さく、神経質な貫太が、4月末に保護されるまで、どうやって人の消えた町で生き延びたのか。
幼いことが幸いして、動物愛護団が保護にやって来た時、余り警戒せずに近づいて、
無事保護されたんだろうなぁって思う。
1歳前後の、ちょっとビビリの柴犬を立ち入り禁止区域に残して避難したことを後悔し、
辛い5年間を過ごしてきた元の飼い主さんが、もし、万が一見る機会があったとしたら、
「貫太は無事生き伸び、元気に暮らしていますよ」と伝えたい。
これはそんな思いで作ったフォトムービーです。
動画URL https://youtu.be/mopZImfP1Go
貫太は、幸せです。

ずっと、ずっと、幸せでい続けさせます。
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コメント
コメント一覧 (20)
ブログいつも見させてもらっています。
貫太くんはいつも可愛らしくて、表情豊かなお目々で、きっとミッチー姉さんやたろべー爺ちゃんに色んなことを見て教えてあげてるんだろうなと思ってます。動画感動しました。初めは5分以上あるの⁈と思いながらでしたがあっという間でした。みんながもっともっと幸せになれますように。これからも楽しみに見させてもらいます。
とてもせつなくも心温まる動画でした。
貫太が被災犬だということを忘れていた自分がはずかしく思います・・・
きっと、いや絶対に貫太は幸せなはず!!
そう思いたいです。
とても悲しいことが多くおこった日
人も動物もそれぞれにいろいろな思いがあると思いますが
みんなが毎日を笑顔で穏やかにすごせるよう願います。
4時半に起きてから、動きっぱなしだったけれど、
今、ちょっとPCの前に座ったんだ。
フォトムービー、すごくよかった・・・
貫ちゃんの幸せをとてもうれしく思ってる。
311はつらい体験だったけれど、それがあっての貫ちゃん、
忘れずにいようね。
私は今もあの日を思い出すと、泣けて泣けてしかたありません。
家族を誰も亡くしてないし、小さな被災だったのに、
こんなに苦しくて悲しくなる。
東北の人たちの苦しさはいかばかりかと、想像に難いよ。
5年たつのに、復興はまだ道半ば。
そんな日本という国に、ちょっと情けなさすら感じている今日です。
どれだけの人が涙を流し、苦しんできたか・・・
貫ちゃんの飼い主さんはこのブログをみて「元気だ・・ありがとう」って思っていますよ。
ほんとありがとう・・・ありがとう・・・
福島は、農業の県と思われてますが、浪江は海に近くて魚の美味しいところです。貫太君のお刺身好きを見るたびに思ってたのですが、おお刺身をもらっていたのでしょうね。
我が家のワンコたちは、小さい頃に食べたものを好みます。なのでそんな事思ってます。
夫の母は浪江の出身なので、私も何回か行ってます。その度に「田舎の魚は美味しいね」と夫が言ってました。
貫太君は可愛がられてたのでしょうね。そして第二の犬生も幸せですね。
言葉が話せたら、「ぼくね・・・」と事情を言ってくれたらと思いますね。
貫太君の誕生日にお刺身またあげてくださいね。きっと貫太君はそんな日々を思い出すのもご馳走なんだと思いました。
ツンデレがたまらないそうですね(今週のいきものにサンキュー)
まさしく親方がソレだと ゞ( ̄∇ ̄;)
あの日から5年・・・
今更、たら、ればを言ってもどうにもならない現実ですが
ただ原発事故が起こらなかったら多分寒川に
シェルターは出来なかった筈!
路頭に迷っていた子達を保護し今現在も
飼い主さんの元に帰ることが出来ない子達を
手厚く守り続け現在は寒川を離れ遠く離れた
J-Tazu'sアニマルシェルターに今も変らぬ支援を続ける
寒川シェルターボランティアさん達の愛情
Michyさんが寒川シェルターにボランティアに通い
そこで貫太君と巡り会い引き取られ今日に至って
寒川にシェルターがなかったらタロちゃんが
Michyさん宅の子になっていたかどうかも・・・
こうして考えてみると世の中の不思議をつくづく痛感して!
これからも3,11を忘れる事無く
東日本大震災の被害に遭われた方々が1日も早く
元の生活に戻れますようにと願うばかりです。
ボケはじめてから約1年、立てなくなってからは介護。
1時間おきのトイレ、雨だろうが真夜中だろうが外なんです。
自分で食べられなくなってからは病院の点滴とポンプでの流動食。
20キロあった体重も12キロに。
迷子だったハナを引き取って8年。
みんながハナちゃんは幸せだったと言ってくれます。
遅れましたが、ご報告まで。
貫チャンも 保護されるまで どのように暮らしていたのでしょう?元の飼い主さんが 急に居なくなって さぞかし不安な思いをしていたんでしょうね
幸せな「犬生」を送らせてもらえる ミッチー母さんと出会えて 本当に良かった <img src="http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/146.gif" width="15" height="15" alt="[るんるん]" border="0" class="sonet-icon" /><img src="http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/146.gif" width="15" height="15" alt="[るんるん]" border="0" class="sonet-icon" />
将来の事を思うと… 被曝量が少なかった事を ただただ願うばかりです
貫太君も突如一人ぼっちになり寂しく悲しい想いをしたであろうに天真爛漫な姿を見せてくれるのはMichyさんとパパさんの温かい愛情有っての事ですね(^^)
貫太君今は本当に幸せで良かったね!写真も沢山撮ってもらえてこれからもミッチーちゃんとタロちゃんと素敵な思い出を沢山作って下さい♪
Michyさん、パパさんこれからもミカンタロちゃんの事をヨロシクお願いしますm(__)m
その間本当に辛い寂しい日々を過ごされたことを思うと胸がいたみます。
今は、Michyさん、パパさんに沢山可愛がられ幸せいっぱいの様子が貫太君の表情からうかがえることができます。 貫太君の幸せな表情がブログを見てる私たちをいつも癒してくれます。 今日は涙涙で動画を見させていただきました。
動画を見てまた、なみだ。涙腺が、壊れていました。
貫ちゃん、Michyさん.papaさんに出会えてよかったね。
まだまだ、被災された方たちの、心は如何ばかりかとおもいます。
でも、元の飼い主さん。貫ちゃんは、元気です。
ミッチー姉さん、タロチャンとともに、わたしたちにも、勇気と元気をくれていますよ。
ミッチー姉さんと貫ちゃんの網戸越しのチュー。
あの頃はまだ今ほど接近できなかったよね。
これからも幸せでありますように☆
忘れてはいけません。
貫ちゃんを受け入れてくれた、大物ミッチー姉さんがあってこそ。
カン・タロちゃんこれからもずっと幸せでありますように。
ペットじゃなく家族なんですもの
自分の大切な子を置いて逃げるなんて出来ないです
本当に大変な事だったと思います
忘れてはいけない事ですね
人にも動物にも幸せな毎日がおくれますようにと祈ります
カンちゃんの動画を見て涙が出て心を洗わせてもらいました
たろちゃんの介護頑張って下さい
貫太君は間違いなく幸せです。おおらかなミッチー姉さんと
ちょっぴり頑固な先輩タロ爺さんと一緒に、これからも
幸せな毎日をのんびりすごして行かれますように・・・
応援しています。
タロちゃんのお世話、腰ばかりでなく腕にも結構負担に
なるかと思います。私も数年前に半年でしたが黒柴を
介護していました。その時に手首が腱鞘炎になりました。
くれぐれもご自愛ください。
いつもこっそりおじゃまして、足跡も残さずすみません。
ビデオ、拝見しながら目頭が熱くなりました。
我が家の犬も同じような境遇だから。
双葉町鴻草で9月15日に保護されるまで半年間放浪。その後、4か月、逗子の動物病院で怪我、皮膚病、胃腸病を治していただき、2012年1月に家の子になりました。心の回復には時間がかかり、信頼関係が結ばれるまで3年近くもかかりました。4、5歳で保護されたので仕方がありませんね。元の飼い主さんの想い、Michyさんが書いていらした通りですね。そのことを思うと胸が押しつぶされそうになります。我が家のワンコ福もシニアになり、介護が近づいています。拝見しているブログ、本当にこれからの我が家の様子と重なり、一日一日を大切にしていきたいと思います。 これからもお邪魔させていただきます。 皆が幸せで、生まれてきて良かったと思える、そんな毎日でありますように。
貫太への暖かい応援メッセージ、本当にありがとうございます。
東北の復興は、まだまだながらも少しずつ進んでいる様子を
先日テレビで見ました。
一方、福島は… 原発の現状を特集した番組をいくつか見ましたが、
この先、気が遠くなる様な作業が山積です。
人も、植物も、動物も…沢山の被害者を出した原発事故。
こんな事が2度と繰り返されないよう、この先の日本のあり方
をもう一度考えるべきだと感じています。
あの震災によって悲しい思いをされた全ての方々の傷が癒える
日が一日でも早く訪れますように…
我が家も阪神淡路大震災の被災犬(ラブミックス)を引き取り15年過ごしました。3年ほどは、なかなか心をひらかずご近所からよく吠える猛犬と言われましたが、3年過ぎると本当に可愛い可愛い我が家のワンコになりました、最後のときは一緒に成長してきた、息子たちの帰省を待って虹の橋へ向かいました。その息子も今は福島県の方たちと一緒にお仕事をさせていただいています。少しでも復興の助けになれるようにと考えています。
ミッチーさんタロべエさん寛太君への手厚い介護頭が下がります、これからもお体に気を付けて頑張ってくださいね。